マイタケの話

 以前に山奥で食べた野生のマイタケは、とても美味しかった。マイタケは、ミズナラなどの大木の根株腐朽菌で、深山幽谷のきのこの感があるが、都会の公園のシイに発生することもある。材が朽ち果てるまで、毎年同じ木に生える。なかなか見つからないので、ありかは家族にも教えないことになっている。見つけた人は喜んで踊りたくなるために、舞茸の名前がついたらしい。

 マイタケも江戸時代の文献に登場する。本朝食鑑には、ヒラタケの一種として「マイタケというものがある。形状はヒラタケに似て小さい。上に小さい傘があり、重なりあう。その色は黄白か灰白。味は淡甘で佳い。最も毒がない。」とある。なかなか簡潔にマイタケを表現している。また似ている毒きのこは無いので、間違って中毒する危険も少ないかもしれない。

 大和本草には、「秋に地上に発生する。一本の茎に多くの傘が生じる。ネズミタケ(ホウキタケか?)のなかまで大型である。樹上には発生しない。ヒラタケに似ている。毒はない。」とあり、本草綱目啓蒙には「一名クモタケ。秋の初め深山中にある。雑木の朽株に生える。大型のきのこである。茎は短くて、とても太く、白色。傘はイチョウの葉の形のようで、多くが重なりあう。幅は一尺余りの大きさで、色はわずかに黒色を帯びる。生のきのこを煮て食べれば、やや臭いがある。塩蔵して煮て食べれば、味が佳い。」とある。また甲斐国志には、「深山幽谷に発生して、とても大きな物は一株で荷を五、六つくって余るという。このきのこは発生し始めてから腐らず、日が経つに従い増加する。だから大きなものに成長することができる。味はくせがなく、毒がない。上品である。」とあり、いずれもマイタケの特徴をよくとらえている。

 ところで同じ舞茸の名前でも今昔物語に登場するのは毒きのこである。「京に住んでいるきこりが、数人で北山に行ったところ、道を間違えてどちらへ行ったら良いのかわからなくなってしまった。すると山奥の方から、尼が四五人、舞いながらやってきた。きこり達が、こわごわ、『このように舞いながら来たのはどうしてですか。』と尋ねたところ、尼達が言うには『私達は、近所に住んでいる尼です。花を摘んで仏に供えようと思い、一緒に山に入ったところ、道を間違えて出られなくなりました。その時にきのこが生えているのを見つけ、おなかがすいたので、取って食べました。中毒するかもしれないと思ったのですが、飢えて死ぬよりは良いでしょう。焼いて食べたところ、とても甘かったので、良かったと思って食べてしまいました。するとひとりでに舞いだしてしまいました。』きこり達もおなかがすいたので、飢え死にするよりはと思い、尼達の食べ残しのきのこを食べたところ、舞いだしてしまった。その後、このきのこを舞茸と言うようになった。」この舞茸は、幻覚性のきのこのようだ。

 野生マイタケの味にはるかに及ばないが、栽培マイタケが手軽に食べられるのは嬉しい。その栽培マイタケは、市場に出てからまだ二〇年が経っていない。実はマイタケの栽培化はなかなか実現しなかった。菌糸の成長が旺盛なため、培養は簡単だが、子実体を作りにくい。野生株の9割は子実体を鋸屑培地上で作らないという報告もある。優良系統の選抜がポイントだった。