ハツタケの話

 ハツタケは、アカマツやクロマツの林に発生し、関東では人気がある。赤褐色で緑青色に変色し、派手な色をしている。世間の常識(迷信)では、毒々しく見えるのに、食べるようになったのは何故だろう。

 重修本草綱目啓蒙には、「ハツタケは、雲南通志の青頭菌、呉蕈譜の青紫である。(中略)松の樹下の草中に生える。黄赤色で、やや紫色を帯びる。手に触れると藍色に変色する。尾州産には傘に青斑があり、方言はアオハチという。」とある。その青く変色する特徴により、他のきのこと間違えることは少ないようである。この変色については和漢三才図会に「腐敗しやすく、採ってから日が経ったものは、傘の裏面に黴が生えて緑青色になる。」とあるが、これは誤認のようだ。

 本朝食鑑には、「松の樹の日陰の所に生える。庭園でも松が多い所なら、ハツタケの石突を細かく砕いて、米の研ぎ汁に漬けて、これを蒔く。すると、年を経て必ず生える。形状はマツタケに似て、小さい。発生の初めから傘が張っている。傘の内側には細い刻み(ヒダ)がある。傘の内外と柄は赤黄色で、また木の葉をのせて生えるので、これを見つけるのは最も難しい。四・五月の雨の後に生えるが、秋の時に比べると多くはない。八・九月の雨の後に生えるものが最も多い。味は甘くて香りがある。その甘さはマツタケより勝っているが、香りはマツタケに及ばない。」とある。

 また、巻懐食鏡には、「秋が来ると、山野の松の樹の下に生える。味は甘美で毒は無く、食べられる。傘の裏が緑青色に見える物がよい。このきのこは、味が軽い(?)ので、病人が食べても良い。シメジ、ナメススキ、ハツタケの三種は、きのこの中の佳品なり。」とある。優良な食用きのことして知られていたようだが、文献に登場するのは、室町時代以後のようである。

 倭訓栞には、「ハツタケ、紫蕈ともいう。ハツは早いことをいう。備州ではアイタケ、尾州ではアオハチ、江州ではアオスリまたはアイスリ、賀州ではマツミミ、中国、九州では、マツナバという。」とあり、物類称呼にも同様の記事がある。江戸時代には、全国的に知られていたようである。

 ただし守貞漫稿に、「初茸売り。山のきこりや八百屋がハツタケを売る。京阪にはハツタケは無い。江戸だけで売られる。」とあるように、関西では人気がなく、マツタケの乏しい江戸近辺でよく食べられたようだ。

 また続江戸砂子には、「江府(江戸)名産ならびに近在近国」として「小金初茸、下総国葛飾郡小金の辺、所々より出る。江戸より六里程。相州藤沢戸塚辺より出る初茸は、下総より早い。しかし相州は微砂をふくみ、歯にさわって良くない。下総は砂が無く、風味ももっとも佳い。」とある。現在の千葉県松戸市のあたりは、江戸時代はハツタケの名産地だったらしい。  ハツタケが日本の学会誌(植物学雑誌)上で初めて発表されたのは、一八九〇年のことである。この時にLactarius hatudake Tanakaの学名がつけられた。しかし、実はその三〇年以上前に奄美大島でアメリカの調査隊によってハツタケが採集されている。一八六〇年にLactarius lividatus Berk. & Curt. の学名で報告されており、こちらの学名が優先される。