ヒラタケの話(二)

 ヒラタケにまつわる話はかなり多い。今昔物語には、こんな話が載っている。

 その昔、信濃守藤原陳忠という者が、信濃の国司の任期を終えて、京に返る途中の出来事である。御坂(信濃と美濃の国境)の峠を多くの人馬が越えていた。その中の信濃守の乗った馬が、懸橋(崖に横から板を張り出して作った道)を渡る時に後ろ足を踏み外して、逆さまに下へ落ちてしまった。底知れぬ深さなので、信濃守は生きているわけがなかった。下には、桧や杉の大木の梢がはるか底の方に見えるくらいであった。。

だから、多くの家来達は馬から降りて、懸橋の端に並んで、底を見おろしてはみたものの、どうしようもなかった。「下りられる所から下りて、殿の様子をみよう。」「今日1日かけて、浅い方からまわって探そう。」「今すぐには底へ下りる方法は無いが、どうしようか。」などと、口々に騒いでいた。すると、遥か底から叫ぶ声がかすかに聞こえる。遠くの方から言うには、「篭に縄を長くつけて下ろせ。」

 殿は生きているとわかったので、長い縄を篭につけて、そろそろと下ろした。篭が下へ着いたところで、「さあ、引き上げろ。」という声がした。「それっ。」と引いたら、ごく軽い。「殿が乗っているなら重いはずだが…。」「木の枝につかまりながら上がられているから軽いんでしょう。」と言いながら篭を引き上げた。 見ると篭の中にはヒラタケがいっぱい入っていた。予想していなかったので、「何だ、これは。」と驚いていると、下の方から「また下ろせ。」と叫ぶ声がした。再び篭を下ろして引くと、今度は極めて重い。大勢で引き上げてみると、信濃守は片手に縄をつかみ、もう片方の手でヒラタケを三株抱えていた。

家来達は喜び合って、「このヒラタケは、どうしたのですか。」と尋ねたら、信濃守は、「落ちた時、大きな木に引っかかった。その木にはヒラタケがたくさん生えていた。見捨てるのももったいない。手が届くだけ採って、篭に入れて上げてもらったんだが、まだかなり残っていたなぁ。もったいないことをしてしまった。損したなぁ。」と言った。家来達は、「それは損でございました。」と皆で笑った。

 信濃守は、「おまえ達、間違ってはいけない。私は、宝の山に入って、手ぶらで帰ってきた気持ちがする。『受領(国司)は倒れる所の土をもつかめ。』と言うではないか。」と言った。

 すると部下の長が、心の中ではとても腹立たしく思いつつも、「まことにさようでございます。よい機会は逃すべきものではありません。賢いおかたは、死にそうな時でも取り乱さず、すべて普段のようにふるまうので、慌てずにこのようにヒラタケを取られたのです。国の政治が安定し、徴税も滞りなく、思い通りになりまして、国の人は父母のように恋い惜しんでおります。ですから末々も万歳千秋のはずでございます。」などと言って、忍び笑いしたという。

 今昔物語の作者は、主人公が落ち着いて、ヒラタケを採ったことに感心している。京育ちの貴族が、任地の信濃でヒラタケの味を覚え、よほど気に入ったのだろうか。帰京するので、もう食べられないかもしれないと思ったところで出会ったヒラタケは、是非採っていきたいに違いない。