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>> Home >> 九州の森と林業 >> 第60号 平成14年6月1日発行 | |
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森林総合研究所九州支所 定期刊行物 九州の森と林業 |
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幻の浜の幸・ショウロ森林微生物管理研究グループ:明間 民央
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写真1 地表に顔を出したショウロ 完全に地中に埋まった状態で発生することが多いのですが、地上に顔を出すこともあります。その場合は黄褐色に変色したり、虫などに食べられたりすることが多くなります。なお、ショウロの胞子はウサギの胃腸を通過しても原形を保っています。胞子を散布する上では動物に食べられた方がいいのかも知れません。 |
ではなぜショウロはマツ林で採れるのでしょうか。これはショウロというきのこの生活の仕方と深く関わっています。このきのこは、シイタケなどと違って木材を分解して栄養を摂るということをしません。その代わりに、マツの根に水や肥料分を与えてエネルギーをわけてもらうという相利共生を営んでいると考えられています(図1)。きのこやかびの仲間のことを学問的には菌類、またはバクテリア(細菌)との違いを強調して真菌類と呼びますが、ショウロとマツの共生体は菌類と根が一体となったものなので「菌根」mycorrhiza と呼ばれます。そして、ショウロのように植物と菌根を形成して生活する菌類のことを、一般に菌根菌と呼んでいます。マツタケやトリュフも菌根菌です。
しかしこのタイトルにも「幻の」とあるとおり、最近はショウロをはじめとする菌根性きのこの生産は大きく落ち込み、マツタケのように有名なものを除き知る人も少なくなってきてしまいました。これには、人と森との関わり方の変化が大きく影響しています。
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図1 菌根性きのこの生活の仕方 菌糸が土から呼吸した水分や肥料分を樹木が光合成で得たエネルギー(糖分)などと交換しています。 |
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写真2 チューリップ畑 砂地に向く重要な作物の一つにタバコがありますが、その栽培のためにマツの落葉が利用されてきたため、地域によっては燃料革命以後も落ち葉掻きが行われてきました。しかし昨今はタバコの栽培方法が変化してマツ葉を使わなくなったり、日本海・側に多いチューリップをはじめ他の作物に転換されるところが増えたりしています。 |
かつては昔話の日常生活の描写として「おじいさんは山へ柴刈りに」と出てくるほど当たり前だった柴刈りは、もちろんゴルフ場の芝の手入れのことではありません。柴とは山野に生える小さな雑木のことであり、かつては日々の生活用燃料として欠かせないものでした。また、落ち葉も焚き付けや肥料として重要な資源でした。そのため、人口密集地の近くでは枯れ枝も落ち葉も土に還らず土がやせてしまい、そのような条件に強いアカマツしか残らず、マツ山となるところがよくありました。例えば京都近郊では13世紀頃からアカマツ林が主になっていったとの推定もあります。興味深いことに、この推定は文献中に見られるきのこの記録の種類と頻度を元に行われています。
海岸の防風防砂用に植えられたマツ林でも事情は同じで、落枝落葉は燃料として利用され、林内は枯れ枝一つない状態に保たれてきました。いわゆる白砂青松です。この状態はマツの健全性を保つにもよいと考えられています。ところが、昭和30年代から40年代にかけてのいわゆる燃料革命で地方にもプロパンガスなどが普及し、柴刈りや落ち葉掻きをする人が激減しました。そのため、放置されたマツ林には薮が茂り、落ち葉が積もるようになりました。
地上に落ち葉が積もって腐葉土の層ができると、普通は「肥えたいい土になった」と思われるかも知れません。確かにマツも肥えた土に植えるとよく伸びます。しかし、条件にもよりますが、やせ土に植えたものと比較すると地上部と地下部との比率が異なり、肥えた土では相村的に根の発達が悪くなります。しかも、ショウロなどの菌根菌による菌根の発達まで悪くなります。そのため、菌根の持つ水分・肥料を供給しつつ病原菌から守るという働きが衰えてしまいます。その上、マツの根は肥えた腐葉土の層に集中しますが、ここは地表近くなので日照りが続くとカラカラに乾いてしまうこともあります。悪条件に対する抵抗力を失った不健全な状態と言えるでしょう。
また、日本のマツ林に対する最大の脅威であるマツ材線虫病、いわゆる松くい虫による被害も、菌根の発達の異なる林分で比較したところ、菌根の少ない林分の方に被害が多く見られました。それに何より人手が入らなくなると感染木が放置されることになり、そこからの二次被害が感染爆発を招いて数年のうちに林分が崩壊してしまうこともよくあります。このように、日本のマツ林は不断に人の手が入らないと維持できないものなのです。
マツ林が放置されて落ち葉が積もり放題になると、ショウロをはじめとする菌根性きのこも採れなくなります。一例として、同じマツと共生する菌根性きのこであるマツタケの生産量を図2に示しました。1970(昭和45)年頃以降国内での生産が極端に落ち込んでいるのが分かります。
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図2 マツタケの生産量 |
しかし、ショウロは全く採れなくなったわけではありません。観光地などの林内清掃の行き届いた林では今でも発生するところがありますし、慣れてくるとありそうな林、出そうな場所の見当が付くようになります。そうなれば案外簡単に見つけることができます。
ショウロが発生する場所の特徴は、大雑把に言えば腐葉土の層ができていないことです。経験上若い林、あるいは新しく育った若木のそばで見られることが多いのですが、そうでなくても切り通しなどで砂が露出している場所には見られることがあります。そのため、さんざん林の中を探しても見つからなかったのに、帰りがけに工事のあとや道ばたで見つけることもよくあります。林の中では風倒木の跡で砂が掘り起こされたところに若木が更新してきているような場所でよく見つかります。
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写真3 ショウロが出そうなスポット 大木が倒れた跡らしい窪みの周囲に若木が育っていました。 |
写真4 ショウロの収穫 採集直後は白いのですが、運ぶ途中にこすれあったり洗ったときの影響で赤く変色しています。胞子の採取が目的なので、虫食いのものも含んでいます。 |
このように、環境さえ整えてやればショウロは比較的簡単に発生するようになるきのこです。また、人工的にマツの常にショウロの菌を定着させる技術も開発されています。効率を考えなければ、成熟して腐ったショウロを水に溶かしてまくだけでもある程度の定着が期待できます。また、海岸林近くの住民が地域総出のボランティアで腐葉土の層を取り除き、きのこの出る林を取り戻そうとする試みも行われています。
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写真5 きのこ復活のために手入れをした林分 新潟県のこの林でも昭和40年代前半までは彼岸から11月上旬まで「山止め」が行われ、山止め開けに地区総出で松葉掻きを行い、燃料として平等に分配するという管理が行われていました。京都近郊の山止めとは異なり、山止め期間中もきのこの採集は自由でした。 |
これまで述べてきたように、日本のマツ林は燃料供給源として利用され続けることによって、健全さを保ち、多くの菌根性きのこを産出し、また防災機能を発揮してきました。言ってみれば、人間は日本のマツ林の生態系の中で欠くことのできない重要な要素でした。
しかし燃料革命以後人間はマツ林にあまり関わらなくなり、そのため多くの林が衰退し、崩壊していきました。健全なマツ林では多様な菌根性きのこを楽しむことができます。花より団子と言います。環境保全のような高尚な目的ばかりではなく、おいしいきのこを味わうという身近な目的のために、もう一度森に関わってみるというのも良いのではないでしょうか。